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平泉ショックからのどう立ち直るか・国内の世界遺産運動

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月29日(月)00時25分4秒
  平泉ショックをどう受け止めるか

◆ 平泉ショックとは何か

日本各地で地方財政が破綻寸前になっている。 07年3月、北海道の夕張市が「財政再建団体」に指定されたことは、日本中の地方住民に衝撃を与えた。そんな厳しい状況下で、ユネスコ世界遺産の誘致を通じて、これを財政再建の切り札とはいかないまでも「町おこし」のひとつのテコとして活用しようとする動きが活発となっていた。

07年6月には、石見銀山がユネスコ世界遺産に登録され、日本各地で世界遺産を通じて地方活性化をするという期待は膨らんでいた。しかしこの石見銀山の世界遺産登録においては、ユネスコに世界遺産を推薦する役割のイコモス(国際記念物会議)が、石見銀山の世界遺産入りについて、世界遺産としての証明が不十分であるとして、登録延期を勧告していた。関係者は驚いた。なぜなら、それまで日本政府が推薦する世界遺産候補は、何の障害もなく、登録されるものとの空気があった。それが突然否定されたのである。

そこで外務省、文化庁を中核とした日本側スタッフは、このイコモスの勧告に対し猛烈な反撃を開始する。その中心人物は、外務省出身のユネスコ日本政府代表部近藤誠一大使だった。同大使は、自然との共生などを掲げ、21カ国のユネスコ委員会国に、石見銀山の世界史的価値と遺産が自然との共生という今日的価値を持っていることを説明するなどして徹底的な攻勢をかけて、本委員会で逆転登録を果たした。この時、イコモスのメンツは正直潰された格好だった。

08年5月。イコモスは、石見銀山に続いて、平泉の世界遺産登録について、登録延期の勧告を下した。理由は、日本が提出した平泉について推薦書について、世界遺産としての価値の証明が不十分であるとしたものだった。当然、1年前の石見銀山の登録についての苦節を噛みしめた上で、よもや平泉については、問題はないだろうと思っていただけに、このイコモスのシビアな登録延期勧告は、日本中に衝撃をもたらした。

◆イコモス「平泉登録延期勧告」の内容

具体的な勧告内容は、以下の7点である。
(1)全体の配置と浄土思想の関連をめぐる普遍的価値の証明が不十分
(2)平泉の景観が傑出した空間造形であるとする証明が不十分
(3)骨寺荘園遺跡の空間配置と浄土思想の関連についての証明が不十分
(4)平泉の浄土思想が世界的意義を有するものであるとする証明が不十分
(5)アジア地域においての平泉遺跡の普遍的価値の比較研究が不十分
(6)推薦資産の範囲について再検討すべきとの提言
(7)コアゾーンとバッファゾーンの整理が不十分

この7項目の中で最大の問題は「浄土思想」であるように思われた。何しろ平泉の世界遺産のタイトルは、「平泉−浄土思想を基調とした平泉の文化的景観」である。この遺産の基本コンセプトである「浄土思想」が否定されたことで、この推薦書の価値の証明そのものが、揺らぐ形となった。このことは、当初から心配された問題だった。それは西洋の委員たちに、宗教的概念である「浄土思想」というものが、正しく理解されるだろうかという懸念である。


 ◆推薦書の重大な欠陥

またこの推薦書には、重大な欠陥が内在していた。それは9つに増やされたコア・ゾーンが、浄土思想という概念でどうしても説明しきれていないということだった。この点をイコモスの勧告書はズバリと指摘した。例えば、達谷窟は、時代が平泉建都以前の遺跡であり浄土思想で説明しきれないこと。同じく長者原廃寺遺跡や白鳥舘遺跡も時代が相違していること。また骨寺荘園遺跡も中尊寺の荘園ではあるが、浄土思想という概念で証明はできていないことなどだ。

またイコモス勧告書は、平泉の庭園都市というものに注目し、中国、韓国などとの比較研究があれば、世界遺産登録の評価基準2の「価値の交流」をもって、登録は可能であると示唆を行った。しかし提出済み推薦書においては、この点については、証明は不十分だった。

またイコモスの指摘で、いまだに日本側関係者が理解していないと思われるものは、最後の(7)の指摘のコアゾーンとバッファゾーンの整理の不十分という点である。これは極端な例を取れば、コアゾーンである柳の御所の脇を平泉バイパスや高館橋が通っていること。コアゾーンを包括的に守るはずのバッファゾーンの中に普遍的価値を台無しにするような構築物が登録運動と同時並行的に構築されつつあった矛盾が、ズバリと指摘されたことになる。

これはイコモスが、本委員会で登録延期の説明を行った際にも、「バッファゾーンの中にコアゾーンがあるようなもの」と指摘された。もっと言えば、現時点で、柳の御所は、コアゾーンたり得ないと言われたようなものである。現在、ユネスコは、ドレスデンのエルベ渓谷に橋脚を架ける計画に対し、もしもこの橋を架けるのであれば、世界遺産登録から外すことを勧告しており、登録以前の平泉において行われている公共工事に対しても、厳しい目を向けていることを示している。

 ◆イコモス勧告に対する日本側の猛反論の中身

このイコモス勧告に対し、文化庁、外務省のスタッフは、「浄土思想」を説明するために、源信の「往生要集」や「阿弥陀来迎図」などの資料を追加提出し、また9つのコアゾーンを象ったジオラマなどを近藤大使自身が持ち歩いて、委員会国に説明するなどの外交攻勢を展開したが、カナダのケベックでの本会議では、議長国カナダから、最後にコアゾーンを再構成する気持ちはあるか、という問いに、9つのコアゾーンは全体として機能しているもので、その考えはないと答え、結局登録延期が決まったものである。08年7月6日のことだった。

この時から、日本中を「平泉ショック」が駆け巡った。平泉は、中尊寺金色堂を抱える東北を代表する遺産群で、登録されて当然の空気があった。しかし5月のイコモスの登録延期勧告以降、空気は一変した。イコモスが、推薦書の厳密な講読を行い、ひとつひとつ価値の「真性性」や「完全性」について吟味しながら、価値の証明が不十分としたものである。

 ◆結論 世界遺産の視点からわが町の遺産を観る

神奈川県の古都鎌倉や群馬県富岡に限らず、我が町に世界遺産を誕生させたいと運動を続けているものは、この平泉ショックの諸相を厳密に検証し、そこから再スタートをすべきだ。

独りよがりな証明では、イコモスの委員を納得させる推薦書は構築できないと知るべきだ。考えてみれば、平泉が持つ、絶対平和を希求する「中尊寺供願文」の思想は、ユネスコ世界遺産条約前文の先駆けであり、普遍的価値を持つ。皆金色(かいこんじき)と言われる金色堂佇まいは、そのものひとつで世界遺産の価値を持つ。

しかし今回「浄土思想」という宗教概念ひとつを入れることによって、その価値の証明は、難しくなる。また3市町にまたがる平泉のケースでは地域の利害調整も容易ではない。ユネスコ世界遺産条約の概念が、日々刻々とその解釈が変更されつつある。

この点を踏まえながら、私たちは、世界遺産の価値基準をもって、わが町わが郷土の遺産遺跡を、世界遺産として再発見することから、これからの世界遺産運動を始めるべきだと考える。
 

小泉引退劇は政治的跡目相続という茶番

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月26日(金)17時02分15秒
編集済
  ◆小泉さんの引退が引き際の妙だって?!

「人間は引き際が肝心だ」ということはよく聞く。

この度の小泉純一郎元総理の引退については、はっきり言って、引き際の妙などと褒める気にはなれない。理由は、簡単だ。選挙間際になって、引退するのは、二世に選挙区を譲る時、年老いた政治家が取る常套手段だそうだ。

◆まるでアウトローの跡目相続

要するに、今回の小泉引退劇は、次男進次郎氏(27)に選挙区を禅譲するための策略なのである。何も自分が政治的な力があるのに、誰かに選挙区を譲るという私欲を越えた崇高な考えから出た行動ではなく、政治一家のような小泉家の跡目相続の引退でしかないのである。

聞くところによれば、小泉元総理は、三代目だそうで、次男氏は四代目になる。麻生新総理も場合もそうだが、何か、日本の政治そのものが、政治の家元制度というような感じを受ける。今の日本の政治家をみると、権力の世襲による政治の私物化のような印象ではないか。

◆マスコミの視聴率第一主義が小泉政権を支えたことは明白だ

それを承知で、小泉引退をトップで報道するマスコミもマスコミだ。これは視聴率偏重の弊害である。小泉氏については、マスコミが上手に利用されたこともある。

かつて郵政民営化で解散した時、国民は、郵政民営化の深い意味を理解することもなく、「小泉純一郎が、これほど政治生命を賭けて言っているのだから」と、有権者である国民は、考えられないような勢いで、50名ほどの小泉チルドレンという新人議員を、国会に送ったのである。

◆小泉改革で進んだ日本の社会的不平等

小泉氏がライフワークとして取り組んだ郵政民営化の問題(※注)根本問題は、アメリカの金融資本主義の要請を受けて、日本国民が戦後蓄えてきた郵貯資金を、外資に開放するところにあった。言葉を換えて言えば、国民の蓄えた資金のグローバル経済へ差し出すことにあった。

(※注)
郵政民営化の本質としてのグローバリズムは日本人を幸福にするか?!
(上)小さな郵便局が消える!
http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710013268/1.php
(中)日本人の蓄えた預金が日本人の幸福のために使われない愚!!
http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710023320/1.php
(下)民営化で早速郵便料金値上げはごめんだ!!
http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710043428/1.php

その結果、各地にあった小さな郵便局は消え去って、多くの局員が職を失った。郵政民営化以外にも、聖域なき財政再建と呼ばれる小泉改革は日本社会を吹き荒れた。またまるで「姥捨て制度」として悪名高い「後期高齢者医療制度」も、小泉政権時代に考えられた医療制度改革だ。国と地方自治体の税財政のあり方を見直すとして行われた三位一体改革の結果、返って地方財政は、厳しい状況になった。こうして社会的弱者や地方財政が瀕死の状況を呈するに至った。

最近では、与党自民党議員ですら、「小泉構造改革の負の部分」と明確に言うようになった。今後とも、この郵政民営化を含む小泉政権の足かけ6年間の歴史的評価は、厳密になされていくだろう。ともかく、日本における社会的弱者と地方を容赦なく切り捨てて、社会的不平等を助長した小泉純一郎氏の今回の引退を、「引き際の妙」などとおだて上げるマスコミの報道姿勢は、批判されなければならないと思うのである。
 

王さんの晩年を観て思うブッダの出家

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月25日(木)17時02分25秒
編集済
  誰にでも晩年は来る。



昨日の王さんの辞意会見を観ながら、つくづく「老い」というものを痛感した。王さんは50年野球一筋に歩いてきて、病に冒されながらも、容易に引退も許されず、無理に無理を重ねてきたのである。

さて今を溯ること2500年前、インドに生まれた一人の王子は、あるとき、老いという人生の苦の存在を知って、出家した。それまで王子は、老いという苦が人生の晩年に待ち構えていることを知らずに育った。それは王子が生まれたときの予言で、この王子が、出家する運命にあることを父王が懸念していたためだ。

父王は、王子の周囲に老人を近づけず、老いというものに触れないことで、老いによる出家を避けようとした。それは自らの王家を守るための策であった。

しかしあるとき、王子は町に出て、腰の曲がった皺だらけの老人が多く歩いていることに気付く。それが老いであると知って、王子は驚く。人生の晩年にはこんな大変な苦が待っていると知ると、王子はこの苦をどのように乗り越えられるものかと、考えある夜、王家を抜け出して、出家する。あらゆる自分の身の回りのものを捨て去って、王子はその夜から一人の修行者となって、野に下ったのである。

老いることを知ったことは、やがてブッタ(目覚めた人の意味)となる王子にとって、人生の大きな転機であった。

私たちは、あの世界のホームラン王と呼ばれた鉄人の王さんが、今まさに晩年に差し掛かっている姿を見て、改めて晩年に来る老いの何たるかを考える時ではないかと思った。王さんの全快を祈りたい。
 

王さんが野球を辞めるという話

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月24日(水)17時01分16秒
編集済
  ◆あの王さんが辞める?!

王さんが、福岡ソフトバンク球団不振の結果責任を取って今期限りで監督を辞めるという。

もちろん、今回の辞任表明の裏には、胃がんを煩っての体調不良があることは明白だ。最近の王さんの表情を見ると、頬がげっそりそげ落ちて痛々しい。

王さんの辞任のニュースを聞いた時には、突然の出来事に、ショックを通り越して、ソフトバンクの選手のたちの不甲斐なさに腹が立つ思いがした。

王さんは、この1年にすべてを賭けて頑張ってきた。だが、ペナントレース制覇の夢が消えた時、王さんは、指揮官としての結果責任を取ることを自身で決めたのだ。王さんは、今シーズンで身を引く決意を口にしたことで、選手に無用なプレッシャーをかけてしまったと、選手たちを気遣った。

◆ON時代の終焉

「王貞治」さんも、今年で68歳だ。そんな王さんが、「野球というひとつの道に、50年間も歩んでこれたことは幸せだった」とポツリと語った時、こっちまで目頭に熱いものが込み上げてきた。考えてみれば、この50年間、日本の野球界は、「王貞治」と「長島茂雄」というふたりの傑出した人物によって支えられきたと言っても過言ではない。

王さんの前には、兄のような存在にして、人生最大のライバルだった長島さんが存在した。王さんは長島さんを最初「チョーさん」と呼び、その後「ミスター」というようになった。一方長島さんは、王さんをずっと「ワンちゃん」と言い続けた。

引退時に出版した「回想」(1981年勁文社刊)の中で、王さんは、この長島さんについて、とにかく長島さんの人気には、どうしても勝てない。だから絶対に記録では負けないようにしようと思った。という話を朴訥に語った。王さんはの正直な人柄をそのまま映す本だった。その後この著は、文部省の教科書にも使用されるなどした。

今さらながら、ONと呼ばれた王さん長島さんのことが思い出される。長島さんは、1958年(昭和33年)六大学のスターから巨人軍に鳴り物入りで入団した。すると入団一年目から、3割5厘、本塁打29本を打ち新人王を獲得し、日本の野球界のトップスターに納まってしまった。一方王さんは、その一年後、甲子園の優勝投手として早稲田実業高校から巨人軍に入団した。二人には、年齢で5歳の違いがある。王さんは、入団から三年目までは、長島さんのような華々しい活躍はできなかった。

◆一本足打法の創造性

そこで、王さんは、荒川博打撃コーチと運命的な出会いをする。そこで一本足打法というものに取り組むことになる。この打法の特徴は、投手から向かってくるボールを一本足で迎えて、力を一点に集中させて打つもので、タイミングの合わせ方が難しい。そこで荒川コーチは、日本刀の真剣を使って、藁束を切る練習や、つり下げた紙を日本刀で切るなど、野球の打撃の常識では考えられない猛練習をした。

練習は、実を結び、一本足打法という打撃革命は、打撃技術として確立したのである。1963年から1974年まで13年間連続でホームラン王の座を死守した。1964年に達成した年間本塁打55本は、いまだに破られていない。2年連続三冠王の快挙を達成もした。ヤンキースに渡った松井秀喜選手の巨人時代からの55番は、王さんの日本記録を抜くということで、選ばれた背番号だ。また通算本塁打868号は、年間140試合という少ない試合数で達成されたもので、大リーグ記録と一概に比較することは出来ないが、当時の大リーグ記録のハンク・アーロンの755本や、現在のバリー・ボンズの世界記録762本と比べても、「世界のホームラン王」の名に恥じぬ大記録だ。アメリカにも多くの王ファンがいて、世界的なデュオグループ、サイモンとガーファンクルのアート・ガーファンクル氏は、王さんの一本足打法を観戦するため、何度も後楽園に足を伸ばしていることは有名な話だ。

◆WBCでのイチローと王さんの邂逅(かいこう)

王さんの後年の活躍で思い出されるのは、2006年3月、サッカーのワールドカップを意識したような文字通り世界1の野球大国を決める第一回 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、全日本チームを世界一に導いたことだ。この時、シアトル・マリナーズのイチローは、王さんに恥をかかせることは出来ないと、自分から王さんに、電話をして、出たいと伝えたとされる。イチローは、文字通り、全日本の牽引車として、王ジャパンを引っ張った。このWBCの優勝は、野球の神さまから王さんへの、長年の功労に対するご褒美だった気がした。今回の王さんの辞任会見をインターネットで知ったというイチローは、「予感があったが、寂しい。王さんと一緒にWBCの時間を過ごせて幸せでした。王さんありがとうございました」と短くコメントを発表した。

◆私生活の苦悩を内に秘めていた王さん

王さんも、長島さんも、野球の世界以外の私生活では、けっして平穏なことばかりではなかった。それは二人とも偶然だが、最愛の奥様に先立たれている。また野球漬けの忙し過ぎる生活で、ふたりとも病気に見舞われてしまったこともある。もう少し注意していればと悔やまれる。それでも二人は、病との闘いを続けている。その姿が、私たちファンの胸を打つのである。

◆”人はいかに生きるべきか”を王さんに教わる

王さんの人生のすべてを野球に打ち込む人生に、「人はいかに生きるべきか」という人生の覚悟や構えを教わったような気がする。投手が投げたボールをギリギリまで引きつけて、絶妙のタイミングでバットを振る一本足打法を思い浮かべながら、日本の野球界というより、日本社会にポックリ穴が開いたような気がしてくるのは私だけだろうか。王さんの全快を心から祈りたい。
 

舛添発言「高齢者医療制度見直し」は無駄な抵抗

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月22日(月)16時57分47秒
編集済
  ◆舛添厚労省の発言の真意

舛添要一厚労大臣が、「みのもんたの朝ズバッ」で、突然、後期高齢者医療制度の廃止とも受け取れ得るような「見直し発言」をし波紋を呼んでいる。何しろ、「麻生内閣がスタートすれば、直ちに着手する」旨の発言だけに、側にいた公明党の山口なつお議員は、「私は仮にも公明党の政調会長。そんな話は聞いていない」と不快感をあらわにした。

その後、麻生氏も、この舛添発言を受けて、「75歳の線引きや年金からの天引きは何とかしないといけないと思っていた」と前向きな発言をした。嫌みな言い方をすれば、舛添大臣は、自分から、麻生政権に「オレを入れろ」と猟官運動(就職活動)をしたようなものだ。但し、この麻生政権であるが、その寿命は極めて短命と思われるから、別のところに真意があることは明白だろう。

何故ならば、大方のマスコミの予想通り、10月中の総選挙があるとすれば、大臣になって、すぐ解散というもので、舛添氏が、いくら大臣ポストにしがみつくとしても、今回の総選挙で、麻生自民党が勝てるとは思えない。そこで、勝つためには、この位大胆な政策の転換を図らなければ負けるとして、舛添氏は奇っ怪な行動を取ったと考えるべきだ。

◆舛添氏の奇策は通用しない

そこで、この舛添発言を、もう少し冷静に分析してみよう。

毎日新聞によれば、舛添発言の骨子は以下の三点となる。
「(1)年齢のみで対象者を区分しない
 (2)年金からの保険料天引きを強制しない
 (3)世代間の反目を助長させない」(毎日新聞 9月21日 東京朝刊)

これを麻生政権で見直すとしたものだ。

舛添氏は、おそらく今のままでは選挙は戦えないと判断の下に、思い切った茶番とも言える芝居を打ったのだろう。

そして大多数の国民の不信を買う「高齢者医療制度」についてこれを廃止するという「カード」を国民の前にぶら下げて、「自民党は柔軟に国民の声を聞きます。」とやったのである。その意味で、朝ズバッは、これまで一貫して「後期高齢者問題」を批判的に取り上げてきた番組で、これ以上の舞台はないと考えたのだろう。

ところで、私は、昨年(2007年春)の参議院選挙の分析で「農民の反乱が自民党を潰した」と書いた。さらに同年の山口県の衆議院補選では「老人の反乱が自民党を潰す」という記事を書いたことがある。これは自民党の失政が、国民の自民党離れを加速させていることの証左である。選挙のプロ中のプロである小沢一郎民主党代表は、巧みにその自民党の失政を突いて、参議院選挙、山口補選で勝利を収める立役者となった。

そんな中で、舛添氏は、今回さらに自民党が、追い詰められていることを痛感し、自民党が何とか民主党に負けないためには、「国会答弁を撤回した」と言われようとも、「後期高齢者制度を見直す」と言うしか手がないと考えた末の行動だった。

◆自民党の総選挙の敗北は予定調和の世界

さて、今回の舛添氏の唐突な行動によって、散々自民党の失政によって痛めつけられてきた国民が、「ああそうですか、それはありがとうございました」と自民党に投票するとは思えない。

自民党の総選挙での敗北は、もはや予定調和の出来事であり、如何とも動かしがたいものだ。まず、今回の総選挙の争点というものは、「高齢者医療制度」などではない。すでに高齢者医療制度をこれまで肯定し続けてきた自民党を国民自身は見放している。

では次ぎに、自民党は、ガソリン税の廃止を言い出すかもしれない。民主党の政策にすり寄って、私たちも同じ事をやりますと、新たな舛添二世が、現れるかもしれない。

しかし既に時遅しだ。すでに運送業界は、高速道路の無料化とガソリン税の廃止を明確に政策に謳っている民主党に、自分たちの生き残りを賭けるしかないところまで追い詰められているのだ。まさか、自民党が、ここまで民主党の政策を盗むようなことがあれば、それは驚きというよりも笑いを誘うはずだ。

◆結論 総選挙の争点は”政権交代”

では今回の総選挙の本当の争点というものは何か。それは政策の違いを鮮明にし、とかく官僚にオンブにダッコばかりしていた日本の政治が、政策の優劣を国民の前で競い合える政権交代可能な二大政党の時代に生まれ変わるか、どうかが問われているということではないかと思うのである。
 

ノーム・チョムスキーの新著を読みながらジョン・レノンのイマジンを想像したこと!!

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月19日(金)17時04分33秒
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  ノーム・チョムスキーの新著「すばらしきアメリカ帝国」(原題「Imperial Ambitions」(帝国の野心)を、ワクワクしながら読み終えた。

これは04年に行われたインタビューを著作化したものだ。話は、イラク戦争の分析から始まって、現代アメリカの問題点をユーモアを交えながらズバリと突いている。

いつもながら、彼の本を読むと、私の心に、ジョン・レノンの「イマジン」が鳴り響いてくるのを感じるのだ・・・。

ジョンは、イマジンに、世界平和の理想と、文字通り「想像力」の大切さをメッセージとして込めた。今や世界中の人々が、「天国も地獄もない世界をいっしょに想像してみよう」というジョンのメッセージを自然に受け止めるようになっている。

何故、ノーム・チョムスキーという一介の言語学者が、アメリカを代表する知性と呼ばれるのか。その背景には、「イマジン」が言うところの「想像力」をという心の眼をもって、この人物が、アメリカを見、世界を曇りない眼で見て、反アメリカとも言うべき、厳しいアメリカ政府への叱責を良心に基づいて繰り返しているからに他ならない。

チョムスキーは、第一章(「アメリカが掲げる帝国の野望」)からアメリカの新しいドクトリン「予防戦争」の概念を容赦なくこき下ろす。

「・・・世界を支配するアメリカに挑戦しようとする者が現れた場合ーそれが差し迫っていなくても、あるいは捏造や空想であってもーそれが脅威に発展する前に消滅させる権利が、アメリカにはあるということです。これは・・・予防戦争であって、・・・先制戦争ではないのです。・・・イラクのケースでも、実際にそのように行われました。・・・驚異的なプロパガンダの離れ業でしたね。アメリカ政府は、サダム・フセインはただの極悪人ではなく、私たちの生存に対する脅威だと、世界の常識に反してアメリカ国民に信じ込ませるよう手をうちました。(中略)世界の大部分は、圧倒的にこの戦争に反対しています。イラクへの攻撃だけが目的ではないという事実に気づいているからです。・・・注意していないと、次のターゲットだぞ、と言われたようなものですね。今や大勢の人々、おそらく世界の人口の半数以上が、アメリカを平和に対する最大の脅威と考えている理由はここにあります。ジョージ・ブッシュ大統領は、1年も経たない間に、アメリカをひどく恐れられ、嫌われ、憎まれる国に変えることに成功しました。(本書「第一章 アメリカが掲げる帝国の野望」12−13頁)」

20年前のソ連邦崩壊以降、唯一の超大国となったアメリカは、その圧倒的な軍事力を背景に、アメリカに敵対すると思われる国家を、ターゲットにし、傲慢なやり方で、その相手に対して、アメリカ的民主主義を押しつけてきた。

その典型が、イラク侵攻だった。何しろイラクのサダム・フセイン政権は、核開発とタリバンへの関与を疑われ、アメリカが政権を転覆させ、民主主義政権の樹立どころか、3兆ドル(ジョセフ・E・スティグリッツが「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」徳間書店08年5月刊で詳述)とも言われる莫大な戦費を使いながら、ベトナム戦争以来の泥沼化の様相を呈しつつある。

第二章(付随的損害)では、アメリカ人とアメリカ文化が、ブッシュ政権のイラク侵攻へのプロパガンダを信じ込んだ理由について、次のように興味深い見方を披露している。

「・・・恐怖が利用されていることが背景にあります。おそらく先住民を抹殺しなければならなかったアメリカ大陸の征服と関係があると思います。奴隷制度のもとで、いつ反乱を起こすかわからず危険視していた集団をコントロールしてきたためでもあるでしょう。」(38頁)

その上で、チョムスキーは、プロパガンダを見抜く方法について、簡潔に次のように語る。
「テクニックなどありません。人並みの常識だけです。・・・正気な人間なら、証拠はどこにあると聞くでしょう。そう尋ねた途端に議論は破綻しています。・・・もちろんすべての教育機関とメディア・・・から自由にならないかぎりは、プロパガンダの餌食になる可能性が高いでしょう。」(40頁)

ブッシュ政権のイラク侵攻時に流布された虚偽を、ほとんどのアメリカ国民は見抜けなかった。アメリカの同盟国であった日本国では、小泉首相が、いち早くブッシュ政権の軍事行動に賛意を表したことは記憶に新しい。このチョムスキーの政府のプロパガンダの虚偽を見抜く眼力こそが、私は「イマジン」の言う「想像力」だと思うのである。

私は、このチョムスキーの04年のインタビューを読みながら、矛盾だらけの世界で真実を見極める眼、それが「想像力」ではないかと痛感した。超大国アメリカにいて、そのアメリカの民主主義の限界を、自身の良心を交えて語るノーム・チョムスキーは、まさに現代アメリカ政治の「語り部」と呼ぶに相応しい人物だ。
 

8年連続200本安打達成のイチローの達観

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月18日(木)15時44分51秒
編集済
  ◆大リーグに”スピード感”を見直させたイチローの8年間

イチローマリナーズのイチローが、08年9月17日(日本時間18日)カンザスシティー・ロイヤルズとの試合で、大リーグタイ記録となる8年連続200本安打を達成した。

この8年連続200本安打という記録は、ボルティモア・オリオールズに在籍したウィリー・キーラーという選手が、1894年から1901年にかけて達成した古い記録だ。つまりイチローは、107年前の記録と並んだことになる。確か、04年にイチローが、シーズン262本の安打を放った記録も、ジョージ・シスラー(セントルイス・ブラウンズなどに在籍)の年間最多安打記録257本を、84年ぶり破ったものだった。

この事は、最近の大リーグのベースボールが、どちらかと言えば、安打を放つというところに主眼はなく、派手なホームラン競争や長打にあることを示唆するものではないかと考えられる。つまりベースボールの傾向そのものが、イチローのようなスピードを中心にした選手よりは、パワー優先であったがために、コツコツとヒットを積み上げて行くタイプの選手が、出にくかったこともあったのではないかと思われる。

イチローが、01年大リーグに渡ったことによって、スピードのある選手に光が当たりはじめたことは確かだ。その筆頭が、マツザカのいるボストン・レッドソックスのペドロイア選手かもしれない。身長175cmは、180cmのイチローよりも低い。しかし素早い動きでア・リーグ屈指の2塁手だ。鋭いバットスイングにも定評がある。現在イチローを2本上回る201本の安打を放ち、打率3割2分6厘は、9月18日現在、首位打者である。

また今年好調のタンパベイ・レイズで一番を打つイワムラ(元ヤクルト)もスピードを生かしたイチロータイプのプレスタイルを目指して活躍中だ。このことは、イチローという存在が、大リーグ関係者にスピードというものを再認識させ、徐々に大リーグの野球を変えつつあるということの証左ではないかと思われる。

 ◆記録達成後「恐怖感からの解放」と言いかけたイチロー

ところで、200本安打を放った後のインタビューで、イチローは、「170本から190本に行くまでは、苦しかった。周囲から”もう少しだね”と言われるとムカッと来た。190本以降は、平常心でやれた」と正直な感想を語った。また残り試合10試合ほどになった今後のことを聞かれ、「恐怖心から解放されて、伸び伸びやりたい」と言いかけて、少し間を置き、安打を208本打つと大リーグ通算安打1800本の区切りとなること。それから、216本で日米通算安打で、張本勲氏の日本記録3085本を破る3086本を目標にしたい旨のことを、少し潤んだ目で語った。

 ◆どんなヒットもボクらしいヒット

私はこのインタビューで、記録を前にイチローが、恐怖心を感じながら、その壁を乗り越えて来ていることをヒシヒシと感じ強い感動を覚えた。また200本目の安打が、ショート前に転がったボテボテの内野安打だったことを聞かれて「どんなヒットでもボクらしいヒット」と胸を張ったことに、イチローの並々ならぬ自信と誇りを感じた。200本目の、当たり損ねを、イチローは、恥じることなく「ああ、これで200本目のヒットになってしまう」と思いながら、200本安打達成の感触を確かめるように一塁を駆け抜けたと思われる。

おそらく昨今のイチローには、自分の現時点のプレーを上の方から客観視できる"野球眼"とも言うべき感覚が備わっているのだろう。「ホームランで達成しようが、ぼてぼてのヒットだろうが、自分が打てば、自分(イチロー)らしい当たりになる」そんな悟りを得た禅者が言うような達観をイチローは、インタビューでさらりと語っているのだ。改めてイチローという選手の凄さを感じた。
 

山一証券破綻とリーマン破綻のイメージの比較すれば!!

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月17日(水)17時09分3秒
編集済
  山一証券が破綻した時も、1997年11月24日の月曜日だった。

その時、山一の野澤正平社長は、

「私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから・・・」

とマスコミに向かい、涙を流しながら、志半ばで山一を去らねばならぬ社員たちの行く末を心配して、大声で叫んだ。有名なエピソードだ。その後も、同社長は、頼ってくる若手社員の再就職活動を支援し続けたという。これは日本的美談として何度かマスコミにも取り上げられた。

ひるがえって今回のリーマン・ブラザーズの破綻劇で見られたのは、アメリカウォール街でも日本支社でも、破綻後段ボールを抱えて、無表情で会社を立ち去るリーマンの社員たちの姿だった。彼らは、まるで今回の破綻を見越していたのか、それともそんなこともあろうかと、覚悟していたかは、不明だが、タフな印象を持った。とにかく、11年前の山一の破綻の時とは、まるで別のイメージがした。

マスコミがマイクを向けると、リーマンの社員たちは、「びっくりした」、「150年以上の歴史を持つ会社が、こんなに簡単に破綻するとは」、「仕方ない。新しい勤め先を探す。自信はある」など、リーマンの経営に対する批判やら、自分の将来に対する不安については、はっきり言ってそのカケラも見られなかった。

リーマンの日本支社の社員は千人ほどのようだ。もちろんすべてがエリート社員ではなかろう。彼らの報酬は、仕事によって、億単位の年収をもらっていた者から、事務部門で、日本企業とさほど変わらない年収の人間もいたはずだ。

それでも、企業文化なのだろうか。段ボールを小脇に抱えて雑踏に消えるリーマンの社員たちの後ろ姿に、ある種の”いさぎよさ”のようなものを感じたのは私だけだろうか。
 

リーマン破綻が世界恐慌の引き金になることはない!?

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月17日(水)00時45分51秒
  秋の日の月曜日は、株にとっては危険な時のようだ。

昨夜ウォール街では2008年9月15日のブラック・マンデーが起きた。きっかけは、今年の3月のベア・スターンズのように、てっきり救済されるものと思われていた「リーマン・ブラザーズ」という150年以上の歴史を持つアメリカ第4位の証券が、サブプライムローンなどに絡む損失から倒産というニュースが流れたことから起こったものだ。

今から21年前の1987年10月19日(月)、ダウが508ポイント(下落率22.6%)も下がり、これにつれて、日本でも、日経平均が3836ポイント下落(下落率14.9%)したことがあった。この下落のニュースは、ウォール街1929年10月29日(木)に起こった株価大暴落に付けられた「ブラック・サーズデー」にあやかって「ブラック・マンデー」と命名された。

1929年の時と1987年の株価暴落で決定的に違うことは、世界市場への情報の伝わり方のスピードと正確性が格段に違うことだった。そのため、世界各地の市場への情報が伝わり方が混乱したり、噂の類の話に尾ひれが付いて、誤った売り買いによる混乱などは、一部にはあったが、比較的容易に修正されたために、世界恐慌という最悪の事態は、未然に防がれた。

株価が暴落する最大の要因は、もちろん不況や雇用不安、信用収縮など、経済の基礎的要因である実体経済が主原因となって起こるものと見られる。ただそこで注意したいのは、暴落の過程では、情報の不足や情報の不備から、市場に必要以上の恐怖心のようなものが働くことがあることだ。そのため、一時的にマーケットが無政府状態になり、売り一辺倒になる。

「恐慌」とは、読んで字の如く「恐れ慌てる」ことであるが、まさに市場に人間の「恐怖心」が蔓延して、一時的にマーケットがパニック状態になったことをきっかけとして、株価暴落、銀行の取り付け騒ぎ、銀行の破産、失業の蔓延となって発生するものだ。しかし今、1987年と比べ、さらにITの進歩があり、情報の精査が容易となり、恐怖心にかられて、市場が売り一色になるとは簡単には考えにくい。

ただ問題なのは、金融工学と呼ばれる複雑な投資手法が、マーケットを支配している現状で、売りと買いを交錯させることによって、利益をほぼ自動的に確保するシステムが働き、マーケットが、その不自然な動きに支配される傾向があるのではないかと思われる。(しかも、そこで問題なのは、市場の実態経済を遙かに超えた巨額の投資マネーが利益のみを狙って世界のマーケットを妖怪のように暴れ回っていることだ。これまでその妖怪と目されてきたリーマンが、今回サブプライムというキズを負って、売り浴びせの餌食となってしまった格好だ。)

今日(9月16日)の日本市場も、その傾向が多分に見られた。おそらく日本株全体が売られたというよりは、日経225に採用されている株価が売りプログラムによって売られたように思われる。おそらくコンピューターに事前に仕組まれている売りプログラムが作動して、ダウとの下落率から、日経平均でマイナス600ポイント付近で、利益を確定するようなプログラムが働いたのではないかと想像する。

もちろんそれは、私の想像に過ぎないが、それほど的外れとも思えない。今日辺りのマーケットは、1987年とも、もちろん1929年とも、まったく違う相場の様相だったと考えられる。

したがって、これ以上、マーケットが、混乱し、無政府状態になり、どんどん株が売られて、株価大暴落から通貨危機となり、世界恐慌へ突入するというシナリオは考えにくいと思われるのであるが、どうだろう。
 

事故米ってなんだ? 1

 投稿者:佐藤  投稿日:2008年 9月10日(水)17時03分17秒
編集済
 
行きつけの居酒屋に行くと、店で一番人気の芋焼酎「薩摩宝山」(鹿児島県日置市「西酒造」製造)がなくなっていた。店主に聞けば、「酒屋さんから電話が掛かってきて、かくかくしかじかの事情で、すべて引き取らせてもらいます」と言ってきたということだった。

事故米騒動は、あっという間に、日本中に広まった。日々の努力によって、日本中で愛されるようになった名酒は、降って湧いたようなマスコミ報道に、てんてこ舞いである。毎日新聞の報道によれば、「宝山」の酒造メーカーの対応は素早かった。

「同社は8日、6月13日〜8月22日に瓶詰めした約30万本の自主回収を始めた。損失額は少なくとも3億円にのぼるという。同社によると、今年3月に大阪府内の米卸業者から仕入れた原料米数百トンの中に事故米が混ざっていた。すべて「薩摩宝山」の原料麹(こうじ)として使い、「吉兆宝山」など他の8銘柄には使用していないという。工場内に残った原酒約30万本分の出荷は8日に停止した。県内外の取引先に対し、経緯を説明する文書を配布した。」(2008 年9月8日 東京夕刊」)

幸い、このメーカーの「薩摩宝山」以外の銘柄には、使われていないことである。これ以上の風評被害が広がらないように、マスコミも、各方面から飛び込んでくる情報を精査すると同時に、報道の仕方には誤解を生まないような細心の注意が必要だ。

一方、事故米を承知しながら、事故米であることを隠匿して、酒造メーカーに卸していた「三笠フーズ」(大阪市北区)という卸元の利益優先の悪どいやり方は、国民生活の根幹にある食の安全の見地から徹底的に解明されなければならない。

何しろ、カビ毒が発生したベトナムからの輸入米や使用禁止の農薬に汚染した中国米を農水省から購入し、一部正規の米と混合して、メーカーに卸していたというのだから、その遵法意識の低さには、ただただ呆れかえるばかりだ。

私の隣でチビチビ酒を飲んでいた中年男性が、テレビに映る「私がやりました」と頭を下げる三笠フーズの社長の顔を見ながら、「このオヤジ、ぬけぬけと、儲かれば、人の命なんて、どうなっても構わないという面構えだな」と怒りを露わにしていた。



この事件の背景を考えてみよう。この事故米騒動の根源には、「世界貿易機関(WTO)」の合意(1993年)によって義務化された米のミニマムアクセス(最低輸入量)問題がからんでいることは明らかだ。これにより、WTOによって、日本は、穀物の中で唯一輸入する必要のない米まで、輸入義務を押しつけられているということになる。

これ以降、世界中の農業そのものが、アメリカ主導のグローバル経済に取り込まれ、日本の食料自給率(カロリーベース)、穀物自給率は、低下に拍車がかかることになるのである。合意の内容は、第1に輸出補助金の削減、第2に国内助成金の削減、第3に農産物関税の削減である。日本にとって、特に問題なのは、第3の農産物の関税引き下げである。この合意の中で、日本の米については、例外が認められる代わりに、ミニマムアクセス(最低輸入量)が設けられたことだ。ちなみに1996年には、国内消費量の4.8%(45万5千t)の量が義務化され、現在では1986年〜88年の国内平均消費量の7.8%(75万8千t)の輸入数量が課せられている。

ところで、現在まで事故米と言われる米は、合計で約7400t保管されてあり、この内の約1800tほどを三笠フーズが約2000万円で購入し、正規の米と混ぜたりして、不正に食用として転売したものだ。(このニュースソースはテレビ朝日の報道番組「ムーブ」による)

この不正転売によって、三笠フーズには、1億6000万円が転がり込んだようだ。つまり2000万円が8倍の価値に化けたことになる。

考えてみれば、今回被害に遭った酒造メーカーや米菓メーカーに取っては、穀物そのものには、これは「事故米」などと名札がついているものではないから、それがカビ毒や違法農薬で汚染されたものだとは夢にも思わないはずだ。その盲点につけ込んのが三笠フーヅのトップということになる。儲かるということで、欲に目が眩んだのだろう。商売人としての最低の倫理観も感じられない言語道断の行為だった。

信濃毎日新聞社説(9月11日付け)によれば、「農水省は過去5年間に100回近く工場に立ち入り調査してきた。不正を指摘する内部告発は昨年1月に農水省に届いていた。にもかかわらず突き止められなかった。」ということである。もしも内部告発のあった昨年1月の段階で、徹底調査をしていれば、1年と9ヶ月、被害はもっと少なく食い止められた可能性がある。このような不正行為を行って良心の呵責に耐えきれず、勇気を持って内部告発した人物の気持ちを思うといかにも農水省の責任は免れるものではない。


しかも問題は、日を追う毎に、焼酎、日本酒、米菓などと、さまざまなメーカーや広い地域を巻き込んで、まさに事故米パニックの様相を呈して来ている。

また、事故米が、加工食品となっていただけではなく、直接米として炊かれ、国民の口に入っていたことが明らかになったことは、日本において食の安全に黄色信号が点滅し始めたようなものだ。

9月12日の朝日新聞には「事故米、給食用に流通 関西の病院・福祉施設119カ所」とのタイトルで、以下の記事が掲載されている。

『大阪市の米販売会社「三笠フーズ」が工業用に限定された事故米を「食用」に転用していた問題で、基準値を超える有機リン系の農薬成分・メタミドホスが検出されたため事故米とされた中国産のもち米が、赤飯やおこわなどの食用として、近畿2府4県の病院や特別養護老人ホームなど計119カ所に流通していたことが11日、わかった。いずれも給食会社「日清医療食品」(東京)の近畿支店(京都市)から各施設に納入された。多くが消費されたとみられるが、健康の被害は報告されていないという。』

また同日の毎日新聞では、
『愛知県の2業者が事故米を不正に転売・譲渡した問題で、名古屋市瑞穂区の「浅井」から事故米を買っていた三重県四日市市の米穀販売「ノノガキ穀販」は12日、事故米862トンを1府7〜8県の計12業者にすべて食用米として販売したことを明らかにした。』 と記されている。

これに対し、監督官庁である農水省の太田大臣は、12日会見を開き「直接口に入れるものなので、重く受け止めている。」と、また農水省が三笠フーズの不正を見抜けなかったことについて、「長年不正を見抜けなかったのは残念」と反省の弁を口にした。

これまで、農水省の立ち合い調査のやり方は、「通常、業者と相談した上で、一週間ほど先の実施日を決めて行われていた」(東京新聞12日夕刊)そうである。100回近く、三笠フーズに調査に入りながら、不正を見抜けなかったのは、結果から見て、農水省もそこに馴れ合いがなかったとは言えないはずだ。特に、内部告発があった昨年1月の段階で、徹底調査が行われていれば、被害がここまで拡大する前に、被害を食い止められた可能性がある。農水省は、今後は調査については、これを抜き打ちとすべきだ。また事故米と分かった段階で、廃棄とするやり方に、一日も早く切り替えなければ、不正転売を根絶することは不可能であろう。

つづく
 

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