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寿司。 (そしてアマ考)

 投稿者:長谷川淨潤  投稿日:2007年12月17日(月)20時37分13秒
  通報 編集済
  関内周辺では、のべ数千件は味わっているが、トップはホテルニューグランドである。(何と…)
以前、数寄屋橋「次郎」横浜店があった時には、よく行ったがパイプが吸えないのが難点なのと味も関内ではまあトップクラスかなという感じで自分の中では決して美味しいという評価では無かった。
(ちなみに本店のほうには今だ行っていない、5年程前より招待される約束をしており楽しみにしていたのであるが、その方が最近亡くなってしまったため、今後はますます難しくなってしまった。またミシュランにも載ったと言うので更に難しくなってしまった。)
しかし職人の味ではあり、東京ではそうした職人の芸を含めての見事な味は、人形町き寿司でもやや味わえ、魯山人で有名な銀座久兵衛は現在は職人芸ではないが、次郎よりは美味であった。
他にも、みなとみらい松葉寿司は、料理の鉄人にも出ていた板前が以前は握っており、何度となく言ったが、久兵衛のB級板ということで最高の美味というわけでは無い。
握り方の小振りなのも含め、歴史ある井桁寿司は好みであり、時折り仕事をしに個室を借りて行き、帰りに家族のためと土産を持ち帰る。
私も最近或るところで整体マイスターと認められたが、もっとキチンとした機関で料理のマイスター制度があり、横濱寿司マイスター(綱島栄寿司)の味を数度体験したが、同じマイスターとしてうなだれざるを得ない。

寿司は、カウンターで食べるのが良いが、それは互いの氣のキャッチボールにより味に変化があるためである。
その意味では、初めての店で較べるなら、むしろカウンターでは無いほうが良いこともある。
何にせよ、寿司は旬のもののため、一度でその店を判定できにくい。(判定できる部分はあるが)
また、同じネタでも職人によって味が変わるのも寿司の醍醐味で、そのため、ある職人さんの味に惚れ込み、その人が店を変わる毎に、追っかけを行なったことがあった。
(ちなみにその方は最後(8年程前)には銀座の名店の店長にまでなった。)
女性は皮下脂肪のためか寿司職人には向かないなどあるが、上手い人は旨い。

話は変わるが、寿司で慣れたせいか、見るだけでその人の創る食事が分かるようにもなったが、素人でも美味い食事を作る人はいる。
元スタッフの岡田さんは断トツで才能が自然に開花していた。
面白いのは、整体だとアクセントが強調されるところが、技術によって異なる開花ではあるが根本的な繊細で大胆な味は共通している。
アマチュアでは他には較べられる人は逗子の龍野さんだが、才能レベルは若干落ちるが完成度は高く、プロでもこれだけの味は無理だろう。特に昔ながらの洋食、鍋は絶品で、逗子支部があった頃は毎週のように戴いたり持ち帰ったりしていたが、何より美味しいのはご飯で竈できちんと焚いているせいもあるが、ともかく他の料理同様氣がこもっている。
(この「ご飯」が美味しいというのは、プロだけでなくアマチュアでも共通する点である。
 岡田さんも龍野さんも味わいも、用いる米も違うが、確かに美味(つまり秀逸に美味)であった。)
もう一人はお世話になった故麻原先生の料理であるが、その洋食は手間に手間をかけたものであり、今だにどこのフレンチやイタリアンでも完全に満足できないのは麻原先生の料理を幼い時から週に一度は食べたせいだと思う。
私が知る限りこの三人は全くもって別格であり、他の方でも、すぐに美味しい料理店が作れるレベルの方はいるが、レベルが幾つか違う。
特に、龍野さんと麻原先生は料理店がすぐに作れるというか、音楽で言えばクラシックも完全にこなせ、しかもジャズも即興もという味で、ミシュランでも最高の★は固い。(その意味では岡田さんはクラシックで良いのは数品に限られるのでミシュランでの評価は難しいだろうが、京料理を馴染んだ繊細な舌を持つ方なら、その素晴らしさが分かろう。整体はかくあるべし、という何かが分かる味であった。)
 また、変な話なのであるが、これは整体や温泉その他にも共通することであるが、たとえすぐに食べなくては美味しくない物であっても(たとえラーメンであっても)、時間がたった時でも食べれる料理というのが「ご飯」以外に共通する、美味しいものを作る人の何か(技術?)である。

 ともあれ、アマであれプロであれ、本当に美味しい食事を呈する人は少なくなったような気がするのが残念である。

 食事は、音楽や整体同様、氣(気持ち)が具現化されたものである。
 その氣が荒くてはいけないことは何よりであるが、(そのため、自身の氣を繊細にしなくてはいけないが)、その上に、他同様、作る(表現する)技術というものがある。
 先に述べたそうした美味しい食事を味わう時に共通するのは、その人がそのまま伝わってきて(それだけの表現(料理)技術を持っているという事だろう)、
そしてその人の氣、気持ちを味わうのが心地好いのである。
 これを美味しいと言う。
 

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